スペイン内戦



スペイン内戦
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スペイン内戦(―ないせん、1936年7月 - 1939年3月)とは、1936年のスペイン第二共和政時代に起きた人民戦線政府と軍内部の右翼反乱軍との間で戦われた内戦である。大航海時代に隆盛を誇ったスペインであったが、1898年米西戦争に敗北し広大な植民地を失い国力は衰退傾向にあった。こういった状況の下で国民の不安と不満は政治運動につながったが有力な指導者が現れず、しだいに武力闘争へと変化していき内戦につながったのである。

第一次世界大戦後、スペインでは立憲君主制の行き詰まりから、軍事政権、ファシスト政権が相次いで立ち、結局クーデターによりスペインの王朝ブルボン家は追放された(1931年)。しかし事態は好転せず、1936年2月にアサーニャの人民戦線政府が成立すると右派への弾圧が厳しくなり、7月にモロッコなどで反乱軍が蜂起した。反乱の主力になったのは王党派と軍部である。この時ドイツ・イタリア・ポルトガルのファシスト政権は反乱軍を、ソヴィエト連邦、フランス、メキシコは共和国軍を支援した。しかし共和国軍に共産主義者は少なく、反乱軍でもファシストは少数派だった。

エミリオ・モラ将軍率いる反乱軍は首都マドリードの北西グアダラハーラからマドリードを包囲するが、国際旅団などが加わり士気の高い共和国軍はこれを退ける。以後戦争は停滞し第一次世界大戦そのままの塹壕戦と第二次世界大戦以降の民間が犠牲となる戦争が組み合わさった奇妙な状態が続く。

その間、反乱軍側ではフランコ将軍が着実に権力を掌握していた。 一方、共和国軍側では共産党とその他の弱小政党の間で内部抗争が続き、地方政府の独断専行や警察の暴力行為が頻発、組織がボロボロになっていった。

当然戦局は反乱軍有利に傾き反撃作戦は失敗。1939年3月マドリードが陥落し終結。この内戦によりスペイン第二共和政が崩壊、フランコを指導者に独裁体制が確立した。

ドイツが派遣した空軍部隊「コンドル軍団」は内戦の最中に、バスク地方ゲルニカ空爆を行っている。

内戦に勝利したフランコ側は、人民戦線派の残党に対して、激しい弾圧を加えた。特に自治権を求めて人民戦線側についたバスクとカタルーニャに対しては、バスク語、カタルーニャ語の公的な場での使用を禁じるなど、その自治の要求を圧殺した。そのため、人民戦線側の残党の中から多くの国外亡命者が出たほか、ETAなど反政府テロ組織の結成を招いた。カタルーニャからは冬のピレネーを越えてフランスに逃れた亡命者が数多く出たが、その直後に第二次世界大戦が始まり、フランスがナチスドイツによって占領されたため、彼らの運命は過酷であった。また、国家として人民戦線側を支援した数少ない国の一つであるメキシコは、ラサロ・カルデナス政権の下、知識人や技術者を中心に合計約1万人の亡命者を受け入れた。亡命者がメキシコで果たした文化的な役割は非常に大きかったと言われる。人民戦線政府も亡命政府としてメキシコに1976年まで存続した。

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