通称「回天」、俗に「人間魚雷」とも呼ばれる。また、特別攻撃隊を略して「特攻隊」とも呼ぶ。
これが使用化された経緯は、昭和19年(1944)秘匿名〇六兵器の名称として日本海軍の正式兵器となり、回天と名づけられた。
名の由来は「天業を既倒に挽回する」、「転じて、天下の形勢をがらりと変えさせる。衰えた勢いを元に戻す」という意味、あるいはまた、徳川幕府の軍艦「回天」からとったという(*下記参照)。
戦局が苛烈となり、昭和18年(1943)中頃から特攻兵器の開発と実用化が真剣に中央部でも検討されるようになり、海軍機関・兵学校の中尉と少尉が海軍省軍務局にこの人間魚雷の採用方を要請した。しかし、必死必殺の兵器の採用については諸種問題があり、時機到来を待つことになったが、さらに研究を重ね、昭和19年2月ふたたび嘆願、人命を尊重するための脱出装置を作ることを考慮する条件付きで三基の試作が指示された。
しかし、試作の段階で「兵器の性能を犠牲にしてまで脱出装置を必要としない」という意見の進言があり、脱出装置は廃止された。
特殊潜航艇と回天の研究ならびに要員の養成を目的とした第一特別基地隊が呉鎮守府に設けられたのもこの年である。訓練は徳山市(H15以降周南市)大津島で行われ、回天特別攻撃隊菊水隊が編成され昭和19年11月、最初の回天作戦が決行された。回天の基地は、その後、大津島につづいて、光市、山口県、大分県など転々と開隊されていった。回天搭乗員の募集は昭和18年以降はじめられ、最初は特殊潜航艇乗員の中から転科されたものが多かったが、予備学生出身者を採用するようになった。
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