軍艦宗谷





軍艦 宗谷
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宗谷(そうや)は、旧日本海軍の特務艦であり、海上保安庁の巡視船であり、初代南極観測船であった船である。

北海道北部の宗谷岬と樺太の間にある宗谷海峡にちなんで名づけられた。
1936年(昭和11年)10月31日 ソビエト連邦からの発注で耐氷型貨物船として川南工業株式会社香焼島造船所にて起工。1938年(昭和13年)2月16日 ソ連船ボロチャエベツとして進水。しかし、第二次世界大戦直前の情勢に鑑み、ソ連への引渡はなされず商船地領丸として竣工。
1940年(昭和15年)6月4日 ソ連向けに建造された耐氷能力と当時としては珍しい最新鋭のイギリス製水深探知機(ソナー)が装備されていた民間貨物船だった為、時勢を睨み測量業務が出来、尚且つ大量量輸送能力を持つ船を捜していた日本海軍が地領丸を所有していた民間会社より買取りを行った後に宗谷と改名、石川島造船所にて改装を行う。
特務艦(運送艦)として横須賀鎮守府部隊付属となる。その後、大戦中は第4艦隊、第8艦隊、連合艦隊付属と所属は変わった。
戦局の推移によって北洋のみならず南洋へも進出し任務につく。アメリカ潜水艦から発射された魚雷が右舷後方に命中するものの幸運にも不発弾であったため難を逃れる。トラック島空襲では奇跡的に脱出に成功する。ミッドウェー海戦にも動員された。南方戦線では、ガダルカナル島撤退に活躍する。終戦時は北海道・室蘭港に所在。
終戦後、主に小樽 - 樺太間を往復し引揚者を次々と本土へと運んだ。その後、海上保安庁の灯台補給船となる。
1956年(昭和31年)11月8日 日本は国際地球観測年に伴い南極観測を行うこととなり、その耐氷構造と船運の強さを買われ、南極観測船に選定される。大幅な船体補強と耐氷能力の向上を主眼とした大改装を日本鋼管浅野船渠で受け、初代南極観測船として、東京水産大学(現東京海洋大学)の海鷹丸を随伴船に従え南極に向け出港。1957年(昭和32年)1月29日 南緯69度00分22秒・東経39度35分24秒オングル島プリンスハラルド海岸に第1次南極地域観測隊が昭和基地を開設。帰路に厚い氷に閉じ込められたが、当時最新鋭艦だったソ連の砕氷艦「オビ」の救援により辛くも脱出に成功。砕氷して進む「オビ」号が、後ろをついて進む宗谷が離されないように注意しなければならないほどの性能差であったという。その後も宗谷は1958年にアメリカの砕氷艦「バートン・アイランド」号、1960年に「オビ」号の救援を再び受けている。宗谷はその後派遣回数と同じ回数の修理・改装を繰り返し、通算6回の南極観測任務を遂行した。
1962年(昭和37年) 南極観測任務を後継の砕氷艦「ふじ」に譲り、再び通常任務に復帰する。北海道に配備される。
1970年(昭和45年)3月 19隻の漁船が吹雪と流氷のために遭難し、宗谷が救出に向かう。悪天候の中、無事救出成功。
1978年(昭和53年)10月2日 退役。生涯で通算1000名以上の命を救った。
2007年(平成19年)現在、東京・お台場にある船の科学館で一般公開されている。

宗谷は誕生からすでに70年が経過しており、長年の酷使や退役後の繋留に伴う経年劣化により船体が傷んでいるため、維持管理には多額の資金が必要とされ、募金活動が行われている。





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