オスマン帝国は14世紀から15世紀にかけてビザンティン帝国を征服し、イオニア諸島を除いたギリシャ全土をその支配下においていた。18世紀に入るとヨーロッパにおいてナショナリズムが高揚し、同時にオスマン帝国の勢力に翳りが目立ち始めた。1814年に3人のギリシャ人商人がオデッサにおいてフィリキ・エテリアと呼ばれる秘密組織を結成した。この組織は西ヨーロッパにおける親ギリシャの世論を背景に、イギリスおよびアメリカに移住したギリシャ人社会とロシア政府からの密かな支援を受けており、オスマン帝国に対する反乱を計画していた。組織の指導者には、ロシア帝国の軍人でファナリオティス出身のアレクサンドロス・イプシランディスがついた。1821年3月6日にイプシランディスに率いられた一隊がルーマニア国境のプルト川を越え蜂起した。同月23日にはペロポネソス半島南部の都市カラマータを反乱軍が掌握した他、パトラ、マケドニア、クレタ、キプロスなどでも反乱の火の手があがった。オスマン帝国の当局は反乱を全く予期しておらず、ペロポネソス半島を中心とした地域が反乱軍の支配下に入った。
オスマン帝国は直ちに反乱の鎮圧を目指し、その過程ヒオス島で民衆を多数虐殺した(実際に民衆を虐殺したのは、ギリシャ人独立派であった。オスマン帝国は、ウィーン体制の維持のために独立派を徹底的に弾圧、鎮圧しただけであった。しかし西欧人はこれをギリシャ人虐殺だと誤認、あるいは捏造したものである。特にドラクロワの絵画は、史実に基づいたものではなく、完全なるプロパガンダであった)。当時三万人いた島の人口のうち、四分の一が殺害されたとされる。この虐殺に対し西ヨーロッパ諸国では激しい非難が巻き起こった。一方でイギリス、フランス政府はこの反乱はバルカン半島での影響力を強めようとするロシアの陰謀ではないかと疑っていた。ギリシャ側は支配下地域を効果的に治めることができず、一部ではギリシャ人同士での争いも生じていた。ギリシャとオスマン帝国との争いは決着がつかず、1825年になりスルタンマフムト2世はムハンマド・アリーにより統治されていたエジプトに助けを求めた。アリーはシリア地方の割譲を条件に参戦し、近代化された海軍を用いてエーゲ海の諸島を直ちに占領した。
ヨーロッパではギリシャの反乱に対する同情が広がっていた。ギリシャは西ヨーロッパ文明の源であり、当時盛んだったロマン主義の観点からも、キリスト教諸国が一致してギリシャ独立支援にあたることが支持されていた。バイロンに代表されるヨーロッパの義勇軍が組織され、ギリシャに赴いていた。このような世論に対し、オスマン帝国の過度の弱体化を好まないヨーロッパ諸国の政府間では、ギリシャの自治国化を軸に問題を解決しようとしていた。しかし1827年にナヴァリノ湾に停泊していた英仏艦隊とエジプト・オスマン帝国艦隊との間に偶発的な争いが生じ、結果的にオスマン帝国艦隊が壊滅した(ナヴァリノの海戦)。これはギリシャ独立戦争の転換点となったが、このような会戦を予期していなかった英国政府によって艦隊司令官は革職された。1827年にはフランス人の将軍に指揮された一万の反乱軍がペロポネソス半島においてオスマン帝国の軍隊を打ち破った。ギリシャ軍はペロポネソス半島を根拠地にしてアテネ、テーベなどギリシャ本土を占領した。
ヨーロッパでは当時ポーランド独立革命(失敗)、ベルギー独立、フランス7月革命など各地で民族独立運動が繰り広げられており、ウィーン体制の動揺期であり、その評価は欧州でも割れた。欧州諸国民の世論は概ね独立の支持であり、しかし一方で体制は、反動期であった。結局、ヨーロッパはギリシャの独立を支持することに至り、ヨーロッパの秩序は崩壊することになった。ウィーン体制に亀裂が走ったのである。しかしこれはバルカン半島のイスラム教徒の支配を覆する土台となったのである。
そのころ北方からは正式に宣戦布告したロシア軍が南下し、苦戦の末イスタンブル北西の都市アドリアノープルを占領した。ロシア軍の独走を嫌うイギリス・オーストリアの仲裁によって1829年露土間にアドリアノープル条約が結ばれた。バルカン半島のオスマン帝国領の処遇を扱った条文の中で、ギリシャについては自治国としての独立が保証された。1832年6月11日に開かれた会議でギリシャを君主国とすることが正式に決定され、同年7月にオスマン帝国およびヨーロッパ列強の間で調印されたコンスタンティノープル条約でギリシャの独立が正式に認められた。ただし列強は、ウィーン体制にこだわりあくまでも共和制の樹立に難色を示し、ギリシャ人の支持のないまま強制的に王政へと移行された(ギリシャ王国)。列強はバイエルン王国王子オットー・フォン・ヴィッテルスバッハをギリシャ王に即位させ、オソン1世となった。また独立した領土もペロポネソス半島周辺であり、ギリシャ人の対トルコ闘争は継続されることになった。 |
|