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ガリポリ上陸戦は第一次世界大戦中、同盟国側のオスマン帝国(トルコ)の首都イスタンブール占領を目指して連合軍が行ったガリポリ半島への上陸作戦。ガリポリは現在トルコ語でゲリボルと呼ばれているダーダネルス海峡の西側、エーゲ海からマルマラ海への入り口にあたる半島の英語名で、イギリスではこの戦いをダーダネルス作戦と呼ぶ。
連合軍は、当時国家として末期症状であったオスマン・トルコ帝国軍を軽んじて短期決戦を想定して挑んだものの、トルコ側の予想外の頑強な抵抗にあって多大な損害を出して撤退、作戦は失敗に終わったが、陸・海・空3軍の総力を結集させた(空軍戦力はまだ弱体であったが)大規模上陸作戦としては世界初と言える戦いであった。また連合国軍に参加したオーストラリア、ニュージーランドにとっては国際的な桧舞台への初登場となった。
また、この戦いは世界史に残る2人の人物のその後の運命に大きな影響を与えている。一人は第二次世界大戦時にイギリス首相になったサー・ウィンストン・チャーチルであり、彼はこの作戦の立案者であるが故に失脚し、長年雌伏を余儀無くされた。後にノルマンディー上陸作戦でこの雪辱を果たしたと言えるが、この時の失敗が後の成功の大きな礎となったと思われる。
そしてもう一人、後にトルコ革命の指導者となったケマル・アタテュルク(当時はムスタファ・ケマル)が、世界史に登場するきっかけとなった戦いでもある。
ケマルがこの戦いに於いてその軍事的才能を発揮し、首都防衛の英雄として認知された事が、後の祖国解放戦争の指導者として支持された一因であった。 この事からも、単にひとつの軍事作戦であっただけでなく、世界史的な重要な事件であったと言えるだろう。
ガリポリ作戦はトルコ軍主力を対ロシア作戦から本土防衛に振り向ける効果があったが、連合国指導部の無能や計画の杜撰さによる弾薬不足や装備の悪さが敗北の原因となったと批判を浴び、ハーバート・アスキス首相が辞任して、ロイド・ジョージが新英国首相に就任した。
オーストラリアとニュージランドはボーア戦争に義勇兵を送ったことはあるが、本格的な戦争への初めての経験であった。戦いの経過は従軍記者によって詳細に報道され、両国国民に大きな衝撃を与え、これが国家形成の大きなバネとなった。ANZAC軍のガリポリ上陸記念日である4月25日はオーストラリアでもニュージーランドでもアンザック・デーとして国民の祝日となっている。
トルコは長年「ヨーロッパの病人」と呼ばれてきたように19世紀以来列強に連敗を重ねてきたが、この戦いでは奮戦して英連邦軍とフランス軍を撃退したことは諸外国に驚きを与え、トルコ国民には熱狂をもって受け取られた。中でもトルコ軍のムスタファ・ケマル大佐は半島の高地を陣取って連合軍を寄せ付けない戦果をあげて一躍国民的英雄となり、准将に昇進して「パシャ」の称号を贈られた。ケマルはその後大戦終結まで各地で活躍して揺るぎない名声を獲得し、大戦後に起こった祖国解放戦争の指導者となってトルコ共和国を建国することになる。
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