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東トルキスタン(ひがしトルキスタン)は、トルキスタン東部地域を指す地域概念。現在では中華人民共和国領ウイグル自治区に相当することから、「中国領トルキスタン」とも言う。
南にチベット自治区および青海省、東に甘粛省、北東にモンゴル国と接しており、北西から南西にかけては、カザフスタン、キルギス、タジキスタン等西トルキスタン地域と呼称される旧ソビエト連邦領中央アジア諸国、インド・パキスタン間で係争中のカシミール(アクサイチン)地方などと接している。
東トルキスタンは地域概念であるが、特にウイグル族の中国からの独立派の人々が、中国視点の呼称である「新疆」(「新しい領土」という意味)を嫌い、ウイグルの居住地域の地域名として好んで用いる。
現在、砂漠化の進行および中国による弾圧が問題となっている。
アジア大陸の内陸部に位置する影響から、年平均降水量はわずか145mmと乾燥した気候となっている。その為に一日の中でも気温の変化が激しく、「朝に綿入れ、昼に半袖、夜に火鉢をかこんでスイカ・メロンを食べる」との喩え話がある程である。
東トルキスタンのほぼ中央にそびえる天山山脈を背骨とし、天山山脈と北のアルタイ山脈(モンゴル国境)の間にジュンガル盆地、天山山脈と南のクンルン山脈(チベット自治区との境)の間にタリム盆地が広がる。その為に中国では、天山山脈を境として、ジュンガル盆地のある北側を北疆、タリム盆地のある南側を南疆として分けている。
タリム盆地の中心はタクラマカン砂漠で、天山山脈南麓とクンルン山脈北麓に沿ってオアシス都市がほぼ連なって点在している。
クンルン山脈や天山山脈などからは、氷河などを主要水源とする河川が570本ほど流れているが、そのほとんどは海まで流れない内陸河川である。なお、東トルキスタン最長の内陸河川は、全長2137kmのタリム川である。
タリム盆地の西は旧ソ連領の西トルキスタン地域であり、天山山脈北麓は、イリ川の渓谷を経てイリ川の注ぐカザフスタンのバルハシ湖や天山山脈北西麓のキルギスタンに繋がっている。
なお、かつての主要な東西交易路(いわゆるシルクロード)は、中国・敦煌付近(甘粛省)から天山山脈南麓を通り、パミール高原などを越えてフェルガナ盆地(ウズベキスタン)に至る経路を辿っていた。
東トルキスタンの住民の約45%はウイグル族が占めているが、他にも漢族、カザフ族、回族、モンゴル族、満族など多くの民族が居住している。特に、中華人民共和国成立以後は漢族の流入が著しい。北西部には漢族と回族が多く、南西部にウイグル族が多い。
東トルキスタンには、古くはインド・ヨーロッパ語族の言葉を話す人(いわゆるアーリア人)が居住していた。モンゴル高原に栄えた遊牧ウイグル帝国が840年に崩壊すると、逃亡してきたウイグル人が天山山脈北麓に天山ウイグル王国を建国し、同時期に別のテュルク系民族がタリム盆地にカラ・ハン朝を興した。この結果、東トルキスタンの住民は、次第にテュルク化に向かい、カラ・ハン朝がイスラム教に改宗すると、イスラム化が進んだ。
18世紀なかば、清のジュンガル征服にともなってその支配下に入り、イリ将軍統治下の回部として、藩部の一部を構成することとなり、その土地は「ムスリムの土地」を意味する「回疆」、もしくは「新しい土地」を意味する「新疆」などと呼ばれた。19世紀にはいったんは清からの離脱を果たすが左宗棠によって再征服され、1884年に中国内地並の省制がひかれ、新疆省が設置された。
辛亥革命によって清が滅亡した際、藩部のうち、民族政権が維持されていたチベットとモンゴルは手をたずさえて「中国とは別個の国家」であることを宣言したのに対し、漢人科挙官僚によって掌握されていた新疆省政府は、中華民国への合流を表明した。
また1944年 - 1946年の東トルキスタン共和国をはじめ幾度かウイグル人主体の独立政権が試みられた。しかし、1949年の中国共産党による中華人民共和国成立に際して統合されその支配下に入った(ウイグル人にとってはいわば漢族による征服とも)。1955年には新疆ウイグル自治区が設置された。しかし、自治区とはいえ実際の政治・政策は北京の中国共産党政府主導のもと行われている。
現在進行形で、「計画生育」と言う名目で赤ちゃんを大量に強制中絶(避妊の手段も知識も無い環境の下、妊婦は密告され強制中絶に、犠牲になった胎児はおよそ850万とされる)し、中国共産党の50回もの核実験によって75万人もの人々が放射能中毒で犠牲になり「政治犯」として50万人もの人々が処刑されている。
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