アンゴラの女王



アンゴラの女王
↑ココをクリック


アンゴラは、アフリカ南西部に位置する共和制の国。首都はルアンダ。ポルトガル語圏の国であり、アフリカ最大のポルトガル語人口を擁する国である。 東にザンビア、南にナミビア、北にコンゴ民主共和国、コンゴ共和国と隣接し、西は大西洋に面している。
この地域には、1世紀頃から主にバントゥー系のアフリカ人が住んでいた。1482年、ポルトガル人がコンゴ川河口に到着、現地に存在したンゴラ王国内に基地サン・サルヴァドールを築いた。1490年にポルトガルが植民地経営を開始。また、現アンゴラ北西部ザイーレ州には、コンゴ王国の首都ンバンザ・コンゴ(ポルトガル語ではサン・サルヴァドール)があった。

1623年にンドンゴとポルトガルとの間で和平条約が結ばれたが、ポルトガル人は条約を遵守せず、奴隷売買を続けた。条約交渉の際のンドンゴ側代表だったンゴラの妹ンジンガ王女は、その1年後に自ら王位に就き、ポルトガルを非難して反ポルトガル闘争を再開した。ンジンガはアンゴラからの脱走奴隷を保護し、ポルトガル人から軍事訓練を受けたアフリカ人兵士を自国軍に迎え入れ、ポルトガル人に対する反抗を組織した。しかし王都カバサは1626年にポルトガル軍に奪取され、ンジンガは逃れて隣国マタンバを占拠し、ここを新たに反ポルトガル闘争の本拠地とした。

20世紀に入り、約40万人のポルトガル人が入植。植民地支配に固執するアントニオ・サラザール政権はアンゴラを手放すまいとして、1951年、建前上は本国と同等なポルトガルの海外県になった。しかし、これは建前に過ぎずこの頃から独立運動が活発化し、独立派とポルトガル軍(現地採用の黒人兵も多かった)との内戦の末に、宗主国でのカーネーション革命により、1975年11月11日独立した。

しかし独立直後から、ソ連及びキューバの支援するアンゴラ解放人民運動 (MPLA) 、アメリカ合衆国と南アフリカ共和国が支援するアンゴラ全面独立民族同盟 (UNITA) 双方が政府を樹立し内戦状態に。結局MPLAが勝利し、政権を掌握した(アンゴラ国民解放戦線)。

1979年9月、第2代大統領にジョゼ・エドゥアルド・ドスサントスが就任。アンゴラ政府はソ連など社会主義陣営との結びつきを強め、MPLAによる社会主義一党独裁制を敷いた。しかし、この間もUNITAとの内戦(アンゴラ内戦)が続いたため、多くの人命が失われ、経済は疲弊。さらに戦闘や地雷で負傷してしまった人々も多く発生した。アンゴラ内戦は、政府・反政府勢力がそれぞれ米ソの後援を受けていたことから、東西冷戦の代理戦争と言われている。

MPLAは1990年に社会主義路線を放棄し、翌年には複数政党制の導入を決めた。ポルトガル政府の仲介で1991年5月、MPLAとUNITAがリスボンで和平協定に調印。しかし1992年の大統領選および議会選をめぐる対立から再び内戦に。国連の仲介で1994年11月に和平がなったが、1998年に内戦が再燃した。

2002年2月、UNITAのジョナス・サビンビ議長が戦死。和平機運が高まり、3月15日に双方は休戦で合意した。4月4日に休戦協定が結ばれ、27年間の内戦に終止符が打たれた。

[Link] ムダ毛 シール 不要品 東京 宮崎 便利屋 ハーブティー 激安格安通販 ダイエット 岩盤浴 体質改善 相模原市 賃貸 オフィスレイアウト 宅建 資格 転職 薬剤師