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19世紀後半、ゴールドラッシュのすぐ後の時代、サンフランシスコにアメリカ皇帝がいた。アメリカ合衆国皇帝、メキシコの護国興、ジョシュア・ノートン一世。 1859年〜1880年の二十年も在位し、葬儀に数万人が列をなしたのも人気を物語る。 彼の在位期間であるは、アメリカが華やいでいた時代でもあり、その頃の風俗、歴史などにも触れる事が出来て、大変興味深い。
この人はもちろん正式な皇帝ではなく『自称』皇帝。
そもそも、この人は小麦商だった。 しかし、小麦相場の暴落によって破産し、姿を消した。
数年後、彼は突然、サンフランシスコのとある新聞社に現れて宣言した。
『私、ジョセフ・ノートンはアメリカの国民大多数の要望により、ここにアメリカ合衆国皇帝になったことを宣言する』
普通、相手にされない。 が、あまりに堂々とした振る舞いを面白がった新聞社はこれを掲載。
これが思わぬ評判となって、このノートン皇帝の談話が毎日、新聞を飾ることとなった。
そして、彼の提案した『勅令』でもっとも優れているのが、1869年に発表されたこの構想。
『この街の発展のために橋を架けよう。構造は吊り橋が良い。オークランドからフェルグラティブを結ぶのが最良だ』
発表された当時、誰もが現実不可能だと笑った計画だったが、 この計画は1933年にゴールデンゲートブリッジの建設によって実現する。 1939年に完成するとノートン皇帝が発表した勅令と寸分違わぬコースだった。
また、他にも、現在、『BART』という交通手段で実現されている海底トンネルや、リンカーンが奴隷解放を訴えるより前に奴隷解放を提唱したりと、先見の明のある人だったらしいのだ。
今でもサンフランシスコには彼を讃えるレリーフがある。 ここら辺が、普通の『自称皇帝』とは違うところ。 サンフランシスコ市民に愛されていたアメリカ皇帝だったのである。
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